狭いところがキライだったり、とつぜん笑い出したくなったり、ドアにはさまれたら痛かったり、動かなくなって閉じ込められたら悲しかったり、しかもそんなときに限ってトイレをがまんしてたら、4時間後に助け出されたときの惨状を想像したりで、エレベーターが嫌いです。
あれ?エレベーター??えーと、エスカレーターかな??あ、階段が動くのがエスカレーターだから、あってるな。よしよし。
あ、で、エレベーター。エレベーターが嫌いなので、よっぽど非常識なところ…たとえば、オフィスが48階なんですよ。とか、うちは外階段なんですよ。とか、月のない夜には階段に白い着物のおばあさんが座っているんですよ。とか、大潮のときは海に沈むんですよ。とかでないかぎり、階段を使います。
でも、たいていの建物では、階段の周辺のながめは、どのフロアも同じようインテリア(?)なので、階段を使っていると、いま何階にいるのかわからなくなります。そのときの唯一の手がかりが、壁なり床なりに書いてあるか、貼り付けてある階数表示なのです。
この階数表示、階段を使っていると、「見てる」あるいは「読んでいる」というより「数えている」感覚になります。’いち’-‘に’-‘さん’-‘よん’…と階数表示が目に入るときには、頭の中ですでにその数字を数えているのです。
階段を下りるときは、当然 ’よん’-‘さん’-‘に’-‘いち’ と逆に数えていきます。
これは私だけの感覚なのかもしれないので、「数えていますよね。」と、同意を求めないあたりに、大人のふんべつを感じます…よね。
これが、なにかの拍子に…なんの拍子なのかは、今後の研究を待ちたい…研究?…ともかく、なんらかのきっかけで、階段を昇っているときに ‘よん’-‘さん’-‘に’-‘いち’ と、実際の階数とは逆に数え始めることがあります。
すると、つぎのフロアの表示は5階なのに、頭の中では ‘さん’ って数えてるものだから、5階の階数表示が目に入ったとたんに、前頭前野あたりがパニックに陥ってしまうようなのです。
階数表示の前で立ち止まること数秒…あれ?’5’ってなに??これ ‘さん’ じゃない。わたしの ‘さん’ はどこに行ったの?いや、まて。 ‘5’って ‘さん’ って読んだかもしれない。訓読みでそんなのがあったかも。たぶん。じゃあ ‘3’って、なんて読むんだっけ。あれ?7階に行きたいのに、ここは何階?
もっとも、そんな恐慌状態におちいっても、たいていの場合は、1分以内には現実に戻ってきます。「いま私は、階段を昇っている途中にいて、いまいるのは地上から5番目の階なのだ」と自分の状態を理解できて、なにごともなかったかのように、7階への階段のつづきを昇り始めることができます。
ただ、これが逆だと気づかないままに ‘よん’-‘さん’-‘に’-‘いち’ と数えてしまうと、’いち’ っと数えてしまった7階を地上階だと思い込んでしまい、7階の正面にあったドアからそのまま外に出てしまうのです。
7階のドアを出ると、通りを渡ったとこ地下鉄の入り口があって、そこからさらに階段を登っていくと、地上60mあたりに地下鉄のホームがあるのです。
そこには、やっぱり階段を逆に数えたことに気づいていない仕事帰りのサラリーマンとか、おなじく階段を逆に数えたことに気づいていない買い物帰りのお母さんとかが電車を待っています。
で、これも階段を逆に数えたことに気づいていない電車がやってきて、みんながその電車に乗って、そのまま終点までなにごともなく走ればよいのですが、走り出したあとで、だれかが間違えたことに気づいて、それを大声で言っちゃったりしたら、みんなも、地上60mあたりで、それぞれの間違いに気づいてしまうのです。
でも、電車は地上60mあたりの、なにもないところを走り続けるのですから、こうなってしまっては、階段を逆に数えたことにまだ気づいていない はしご車が、階段を逆に数えたことにまだ気づいていない消防士を乗せて助けにきてくれるのを待つしかなくなるのです。
こんなことにならないためにも、どうか階数の数え間違いにはお気をつけください。
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私信:どちらの神さまが存じ上げませんが、ありがとうございました。ぎりぎりで間に合いました。とりあえずアッラーを讃えて、クリスマスにはケーキを食べて、来年の初詣には500円玉を投げようと思います。